ゴードン・D・ゲイル『血まみれのビーチ』

ゴードン・D・ゲイル『血まみれのビーチ』

攻撃は続く

攻撃は続く夜明けの両軍司令官夜明けとともに、ペリリューの両陣営の司令官たちは、わずかな眠りから目を覚まし、すぐに厳しい現実と向き合うこととなった。リュパータス将軍は、師団の予備部隊を橋頭堡の南部地区に上陸させようと試みたが失敗したことにいら...
ゴードン・D・ゲイル『血まみれのビーチ』

珊瑚礁を越えるための特別な戦法・技術

珊瑚礁を越えるための特別な戦法・技術水陸両用車が戦車を先導するペリリュー島沿岸には珊瑚礁があり、上陸用舟艇は海岸から約640メートル以内には近づくことができなかった。そのため、舟艇は珊瑚礁の縁端部分で戦車を降ろした。そこは水深が浅かったため...
ゴードン・D・ゲイル『血まみれのビーチ』

地獄のような場所

地獄のような場所『タイム』誌の従軍記者の証言『タイム』誌の従軍記者であるロバート・マーティン(通称「ペッパー」)は、ペリリュー島で海兵隊とともに上陸し、兵士と運命を共にすることを選んだ数少ない民間人の1人だ。彼はそこでの様子を次のように描写...
ゴードン・D・ゲイル『血まみれのビーチ』

島の中央部への攻撃

島の中央部への攻撃第5海兵連隊に与えられた任務第1海兵連隊は、戦線の左側の確保に向けて戦闘を行い、第7海兵連隊は、ペリリュー島南端にある日本軍の防御陣地を孤立させ、これを撃破しようとしていた。一方で、ハロルド・D・ハリス大佐が連隊長を務める...
ゴードン・D・ゲイル『血まみれのビーチ』

日本軍の防衛体制

日本軍の防衛体制井上貞衛中将がパラオ諸島方面の守備を担当一方、日本側では、井上貞衛中将がパラオ諸島方面の守備を担当することになった。井上中将は、五代続く名門の軍人の家系で、中国では第14師団を率いており、関東軍から着任したばかりであった。1...
ゴードン・D・ゲイル『血まみれのビーチ』

ペリリュー島に対する艦砲射撃支援

ペリリュー島に対する艦砲射撃支援初期の作戦、とりわけガダルカナルでは、第1海兵師団の海兵隊員は(日本軍からの)艦砲射撃を受ける側であった。ニューブリテン島では、日本軍の防御陣地の性質や配置から、大規模な上陸前の火力支援は必要とされず、またそ...
ゴードン・D・ゲイル『血まみれのビーチ』

日本軍の戦術の変化

日本軍の戦術の変化狂信的な武士道精神と万歳突撃日本は1941年12月、太平洋とアジアの重要拠点を短期間で押さえられると見込んで、奇襲攻撃を開始した。その後、占領地をねばり強く防衛し、連合国を疲弊させ流血を強いることで、最終的には日本の占領を...
ゴードン・D・ゲイル『血まみれのビーチ』

師団とその指揮官たち

師団とその指揮官たち第1海兵師団 実戦で鍛えられた歴戦の部隊ペリリュー作戦は、海兵隊の一個師団と陸軍の一個師団、計二個師団によって実施されることになっていた。1942年半ば以降、太平洋戦域で戦ってきた第1海兵師団は、実戦で鍛えられた歴戦の部...
ゴードン・D・ゲイル『血まみれのビーチ』

血まみれのビーチ

血まみれのビーチDデイ1944年9月15日のDデイ。第1海兵師団に属する第1、第5、第7海兵連隊の歩兵5個大隊は、水陸両用車に搭乗し、パラオ諸島ペリリュー島の5カ所の上陸地点へと向かった。ペリリュー島は激しい艦砲射撃で煙につつまれており、水...
ゴードン・D・ゲイル『血まみれのビーチ』

【ペリリュー島の戦い】米海兵隊の地獄戦記を翻訳|ゴードン・D・ゲイル『血まみれのビーチ-ペリリュ―の海兵隊』全文解説

本記事のゴードン・D・ゲイル『血まみれのビーチ-ペリリュ―の海兵隊』は、Gordon D. Gayle『Bloody Beaches: The Marines at Peleliu』を日本語訳したものです。1948年に発表された戦史(米海兵...