死者が忘れ去られていく悲しみ・・映画『母と暮せば』感想

映画『母と暮せば』を見ました。

1948年8月9日、長崎で助産師をしている伸子(吉永小百合)のところに、3年前に原爆で失ったはずの息子の浩二(二宮和也)がふらりと姿を見せる。あまりのことにぼうぜんとする母を尻目に、すでに死んでいる息子はその後もちょくちょく顔を出すようになる。当時医者を目指していた浩二には、将来を約束した恋人の町子(黒木華)がいたが……。

母と暮せば (2015)

ストーリーを簡単に言うと、長崎に落とされた原爆で死んだ息子(二宮和也)が、「幽霊」となって母親(吉永小百合)のもとに現れるという話です。

特に印象的だったのが、二宮和也の恋人の黒木華のエピソードです。二宮和也は原爆で死にますが、黒木華は生き残ります。黒木華は死んだ二宮を思い、一生結婚はしないと決意します。しかし結局、その後黒木華は別の男性と結婚してしまいます。

このエピソードは、死者(二宮和也)が忘れ去られてしまったように思え、なんとなく悲しい気持ちになりました。

ただし、これは避けられないことだと思います。二宮の母親である吉永小百合も、黒木華に二宮のことはもういいから、別の男性と結婚しなさいと言います。

しかし、黒木華が新しい恋人を連れてきたあと、吉永小百合は初めて泣きます。

おそらく二宮のことを忘れてほしい、という気持ちと、でも忘れてほしくないという気持ち、この2つの気持ちの葛藤がどこかにあるからだと思えます。死者というのは、生きている人が覚えている限り生き続けるということなのかもしれません。

ラストも結構衝撃です。

長崎に落とされた原爆ですが、実は最初の計画では小倉に落とされる予定だったというのも知りませんでした。当日は小倉の天気が悪かったので、天気が良い長崎が選ばれたそうです。完全に偶然によって選ばれたとしか思えません。

戦闘でPTSDを抱えた兵士の症状で「サバイバーズギルト」という症状があるそうですが、この映画の登場人物たちも「なぜ私が生き残ったのか」という問いが常につきまとっています。

このある種の「罪のような感覚」から抜け出すためには、死者をある程度忘れ去る必要があるのかもしれません。

スポンサーリンク
ウイジェット1
ウイジェット1

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

フォローする

スポンサーリンク
ウイジェット1