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日本軍の戦術の変化

日本軍の戦術の変化

狂信的な武士道精神と万歳突撃

日本は1941年12月、太平洋とアジアの重要拠点を短期間で押さえられると見込んで、奇襲攻撃を開始した。その後、占領地をねばり強く防衛し、連合国を疲弊させ流血を強いることで、最終的には日本の占領を認めさせる交渉に持ち込めると見込んでいた。

この戦略を支えていたのは、日本の狂信的な武士道精神だった。日本は、自軍が他の劣った人種より精神的に優れているという思い込みから、19世紀的な万歳突撃をすれば必ず勝てると考えていた。

こうした期待と実戦経験は、1942年に連合国、とりわけソロモン諸島でアメリカ軍と戦うまでは、うまくかみ合っていた。

日本軍の戦術の変化

その後、日本軍は、強い意思と近代的な武器を持った連合国に何度も負けることで、ようやく自分たちの考えが間違っていることを受け入れた。

アメリカ人にとって、こうした日本側の間違った戦術は警戒すべきものである一方、結果的にはコストパフォーマンスの高い戦い方だった。

すなわち、要塞化された陣地でねばり強く抵抗する日本兵を一人ひとり排除するよりも、万歳突撃の日本兵を一斉に倒す方が、はるかに簡単で、かつ損害も少なかったからである。

1944年春までには、敗北による教訓は日本陸軍の最高指導部にまで浸透していた。東條英機大将が井上将軍にパラオ諸島を計画的かつ慎重に防衛するよう指示したとき、彼は日本軍の戦術を、これまでの万歳突撃から、今後の日本の戦略を助けるものへと変えた。

以後、日本兵は塹壕や陣地に潜伏し、攻撃してくるアメリカ軍に最大限の損害を強いるべく、最終防衛戦を行うようになった。

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