ペリリュー島に対する艦砲射撃支援
初期の作戦、とりわけガダルカナルでは、第1海兵師団の海兵隊員は(日本軍からの)艦砲射撃を受ける側であった。
ニューブリテン島では、日本軍の防御陣地の性質や配置から、大規模な上陸前の火力支援は必要とされず、またその後の上陸後作戦においても同様であった。
ガダルカナルの戦いを経験したベテラン兵たちが日本軍からしばしば浴びせられた艦砲射撃は、陸上の航空機や各種施設に深刻な損害を与えた。
ただし、それは塹壕に潜む海兵隊員にとって恐怖と厳しい現実を突きつけるものではあったものの、実際に致命的な被害を与えることはほとんどなかった。
不十分だった艦砲射撃
ペリリュー作戦の計画段階において、当初、師団司令部には艦砲射撃を専門に計画できる訓練を受けた要員が存在しなかった。
ようやく艦砲射撃の要員が師団司令部に到着したが、ホノルルにある総司令部(ホランド・M・スミス中将率いる太平洋艦隊海兵隊部隊)とのコミュニケーションがうまくいかず、艦砲射撃の計画は遅れることとなった。この司令部は、艦砲射撃で不可欠な目標に関する情報を提供することになっていた。
太平洋艦隊海兵軍はまた、師団参謀部の計画担当者が重要と判断した目標に対して、利用可能な艦砲射撃の戦力を計画し、割り当てる役割も担っていた。
しかし、太平洋艦隊海兵軍がマリアナ諸島で進行中の作戦で忙しかったのに加え、艦砲射撃支援群司令官であるジェシー・B・オルデンドルフ少将の参謀部に病人が出たことも、艦砲射撃の準備作業をさらに遅らせる要因となった。さらに、マリアナ諸島での大量の弾薬消費により、ペリリュー島の作戦で利用できる弾薬量が減少した。
しかし、驚くべきことに、米軍による事前砲撃が実施されている間、日本軍からの反応はまったくなかった。そのため、オルデンドルフ少将はこの状況を受けて、把握されていたすべての目標が破壊されたと報告し、上陸日から3日目に予定していた事前砲撃を中止した。
海軍の艦砲射撃計画におけるこの連携を欠いた変更は、結果的に、上陸後の艦砲射撃支援に使用できる砲弾に余裕が生まれた可能性がある。しかし、不十分な艦砲射撃がもたらした最も大きな代償は、上陸海岸の北側および南側に位置する側面陣地が無力化されなかったことであった。
艦砲射撃の目標の選定は、間違いなく、もっと注意深く行うことができたはずである。
第1海兵連隊の連隊長であるルイス・B・プラー大佐は、師団左側の自部隊が上陸する地点を見下ろす日本軍陣地の破壊を、特に要請していた。
それを怠った代償は、ザ・ポイントをめぐる危険な戦いで、血と勇気、そして時間によって支払われることになった。
成功した艦砲射撃支援の例
上陸日以降、適切に要請され、かつ正確に実施された艦砲射撃支援の例も数多くある。
たとえば、9月15日から16日にかけての夜間における照明射撃、以前に「破壊済み」と報告されていた二つの重要なトーチカの破壊、そして戦闘終盤に行われたガブドス島上陸作戦に対する効果的な支援である。

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