予備戦力の不足
作戦計画の分担と指揮体制
アンガウルとペリリュー・ガブドスからなる南部パラオの攻略計画は、第3水陸両用軍団(司令官ロイ・S・ガイガー少将)が担当していた。
しかしガイガー将軍とその幕僚は、7月21日から8月10日にかけてのグアム占領作戦の期間、そしてそれに至るまでの重要な作戦計画の数週間にわたり、完全にその任務にかかりきりであった。
グアム作戦は、当初予定されていたよりも1か月以上遅れて終了した。その一方で、パラオ作戦のための軍団レベルの作戦計画の役割は、別の人物が担わなければならなかった。
ジュリアン・C・スミス少将の指揮の下、臨時司令部のX-Ray軍団が設置された。
各部隊への任務割り当て
南部パラオ作戦では、主要な二つの戦術的任務が設定され、それぞれ陸軍第81歩兵師団がアンガウルを、第1海兵師団がペリリューおよびガブドスを担当することとなった。
第81師団には、1個連隊戦闘団を軍団予備として確保しておく任務も与えられていた。
兵力配分の不均衡
このように師団レベルの作戦計画を分担したことは都合がよかったが、その結果、兵力配分に大きな不均衡が生じてしまい、それは作戦計画が実行段階へ進む過程でも認識されることも修正されることもなかった。
第1海兵師団は、ペリリューにおいて1万人を超える日本軍守備隊を攻撃するにあたり、9個の歩兵大隊しか保有していなかった。
ポール・J・ミュラー少将の第81歩兵師団は、アンガウルの日本軍守備兵力1,500名(当初報告では2,500名)に対し、6個歩兵大隊をもって攻撃にあたった。
さらに、両島の地形や作戦環境も、戦力配分と同様に大きな不均衡を示していた。
ペリリューはアンガウルに比べてはるかに大きく、地形もはるかに複雑であった。ペリリューの防御陣地はアンガウルよりもはるかに強固であることが明らかであり、また上陸に適していると予想される海岸もアンガウルより少なかった。
予備戦力の喪失と計画の破綻
このような兵力配分の不均衡が、部隊レベルや遠征軍レベルで修正されなかったのは、その後に計画が急速に変更されたことと、上位司令部の任務が変化したこと以外には説明がつかない。
これらの不均衡の影響は、9月13日から17日にかけて、さらにいっそう強まった。
計画の上位レベルでの変更と海軍の決定により、第3水陸両用軍団はその予備兵力をすべて奪われた。

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