PR

師団とその指揮官たち

師団とその指揮官たち

第1海兵師団 実戦で鍛えられた歴戦の部隊

ペリリュー作戦は、海兵隊の一個師団と陸軍の一個師団、計二個師団によって実施されることになっていた。

1942年半ば以降、太平洋戦域で戦ってきた第1海兵師団は、実戦で鍛えられた歴戦の部隊であり、ガダルカナルの戦いにおいて、1942年8月7日に太平洋戦争で最初の強襲上陸を行った部隊であった。

オーストラリアでの休養、および新兵の訓練期間を経た後、第1海兵師団は1943年12月26日に、ニューブリテン島のグロスター岬で二度目の上陸作戦を実施した。

第1海兵師団がペリリューに上陸した時点で、その指揮下の連隊である、第1・第5・第7海兵連隊(いずれも歩兵)および第11海兵連隊(砲兵)には、二度の上陸作戦を経験したベテラン兵と、新たに補充された新兵が混在していた。第二次世界大戦終結前の最後の戦いとして、第1海兵師団は沖縄上陸作戦に参加することになっていた。

第1海兵師団の師団長であるウィリアム・H・リュパータス少将は、1942年初頭以来、この師団と行動を共にしてきた。

准将時代は、ガダルカナルの戦いではアレクサンダー・A・ヴァンデグリフト少将の下で師団副司令官を務め、グロスター岬の戦いでは師団を指揮した。リュパータス少将は1913年に任官し、第一次世界大戦では海兵隊の艦船分遣隊指揮官として勤務した。その後の数年間には、ハイチおよび中国での任務に就いている。

ペリリュー戦の後、クアンティコにある海兵隊学校の校長に任命された。現役のまま1945年3月25日に心臓発作で死去した。

陸軍第81歩兵師団 通称「ワイルドキャット」

陸軍第81歩兵師団、通称「ワイルドキャット」は、1917年8月、サウスカロライナ州キャンプ・ジャクソンで編成された。

同師団は、第一次世界大戦ではフランスのムーズ・アルゴンヌ攻勢に参加し、戦争終結後に解隊された。同師団は1942年6月に再編成された。初の実戦任務であるアンガウル島への上陸に先立ち、同師団は太平洋地域の複数の基地で訓練を受けた。

アンガウル島を確保した後、同師団はペリリュー島で第1海兵師団の部隊と交代した。ペリリューの占領が完了すると、ワイルドキャットは日本本土への攻撃であるオリンピック作戦に向けた訓練を開始した。日本は二度の原子爆弾が投下された後、無条件降伏した。その結果、第81師団は日本に侵攻する代わりに、占領任務に就いた。1月10日、同陸軍第81歩兵師団は再び解隊された。

米陸軍第81師団長のポール・J・ミュラー少将は、名高い1915年組の陸軍士官学校(通称「ウェストポイント」)の卒業生であった。

第一次世界大戦ではフランスで歩兵大隊の指揮をとり、大戦後は歩兵部隊の隊長、参謀職、各種兵学校の勤務を歴任した。1941年8月、アラバマ州フォート・ラッカーで第81歩兵師団の指揮を引き継ぎ、訓練期間中にはフロリダ、テネシー、カリフォルニアへと師団を移動させたのち、アンガウルおよびペリリューでの戦闘に投入した。

ミュラー将軍は1954年まで現役勤務を続け、その年に退役した。1964年に死去した。

前の記事 目次 次の記事

コメント

タイトルとURLをコピーしました