映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』感想

この映画は事件の詳細が時系列毎に事細かに描かれていて、見ていてまるで歴史を勉強しているようだった。誰か特定の人物から出来事を物語るということが、(意図的に)排除されているように思えた。

それは出来事を物語ることによって、語られない出来事の存在が見えなくなることを避けたかったのではないだろうか。ある出来事の全てを物語ることはおそらく原理的に不可能だろう。物語化すれば、必ず物語から排除される出来事が現れる。「出来事」と真剣に向き合おうとすればするほど、物語化はより難しくなる。

若松監督がこの映画であの事件を(おそらくあえて)物語化することを拒んでいるのは、この出来事に対して真剣に向きあっていること、また、この出来事の暴力性なり重要性を強く認識している表れだと思う。そして、この事件に関わり、死んでいった人たちひとりひとりの物語を尊重するということでもあると思う。

ただ、出来事が剥き出しのまま表れるということは、多くの人にとって不快であり、どうしても意味をつけ、物語化しようとする(そしてまた、出来事のままだとあまり面白くもないと思う。)しかし、あえて剥き出しの出来事に対して、向き合う「勇気」を持つこと(出来合いの物語に逃げないこと)、それが若松監督のあの事件に対する「総括」とでも言うべきものではないか、と思った。

(この映画を見て思い出したのは、大岡昇平の「レイテ戦記」という作品だった。レイテ戦記もただひたすら何時何分にどのような戦闘があったか、という「出来事」を、それも日米両軍の資料を参照し、徹底的に「客観的」に描こうとしている。大岡はレイテ島の戦闘に参加しているから、彼の経験なりを描くことも可能だったと思う。しかし、彼はあえてそうしなかった。あえて出来事を物語化せず、徹底的に客観的に、そして冷静に描いた。)

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