ウムルブロゴルの包囲とペリリュー北部の攻略
ウムルブロゴル・ポケットを包囲し、かつペリリュー北部への日本軍の増援を阻止する計画がすぐに立てられた。
リュパータス将軍の参謀には、第3軍団から選ばれた参謀将校が付き添い、さらにガイガー将軍も同席していた。
作戦計画の概要
計画では、2個連隊が西側道路を進撃し、陸軍第321歩兵連隊が先頭に立ち、第5海兵連隊が後に続くことになっていた。
まず陸軍部隊がポケットの右側を越えて前進し、その後を海兵隊が追い越して前に出る。そして第5海兵連隊がそのまま進撃を続け、ペリリュー北部とガブドスを制圧する計画だった。
地形と進撃ルート
すでに実戦経験を積んでいた第321連隊戦闘団は、西側道路を北上し、西の平地と隆起したサンゴ台地の境界をなすサンゴ地形の縁に沿って進撃する任務を与えられた。
その台地は東西約300メートルに広がり、ポケットの西側の側面に位置しており、西側道路より10~25メートルほど高かった。台地の西端、すなわち「崖」は、小さな岩や尾根が入り組んでおり、西側道路を見下ろしていた。このため、道路を安全に使うには、ここを制圧して掃討する必要があった。
第321連隊戦闘団は、この隆起地形とポケットを越えた後、ペリリュー東端へ至るための約550メートルの地帯を抜けるルートを求めて、東へ探索を行う計画だった。東方向で見つかった進出ルートは、すべてポケットを北側から包囲するために利用する計画だった。
第5海兵連隊の任務変更
第5海兵連隊は第321連隊戦闘団の後に続いて前進して突破し、ペリリュー北部へ攻撃をかけた。
第7海兵連隊が第1海兵連隊と交代し、第1連隊は東部半島へ退いた。これによって、第5海兵連隊もそれまでの警戒任務から解放された。その後、第5海兵連隊には、ペリリュー北部の制圧、そしてガブドスとコンガウルの占領が命じられた。
西側道路と「月面地形」
この作戦では西側道路が使われた。
最初は北へ進むための進路として、その後は北方作戦を支える補給路として利用される計画だった。西側道路は、ポケット北端へ向かう途中の約370メートルの区間では比較的見通しがよかった。道路の脇には、台地の西側となる、ギザギザの「崖」が並んでいた。
しかしその崖は平坦ではなく、サンゴの突起やカルスト、陥没穴が広がる、まるで月面のような地形だった。
崖にははっきりした尾根もなく、地形に規則性も見られなかった。その陥没穴の大きさは、部屋ほどのものから家ほどの大きさまでさまざまで、深さは約3~9メートルに及び、ジャングルやつる植物に覆われていた。
台地は、道路の平地より10~30メートルほど高い場所に広がっていた。さらに東へ約200~300メートル進むと、台地は急に切り立った崖になっていた。
この崖は、ポケットの南側や東側からそれを見上げた海兵隊員たちから「チャイナ・ウォール」と呼ばれていた。
彼らにとっては、その壁がポケットの西端にあたり、サンゴの「台地」は、ポケットの側面をほぼ通行不可能にしていた。その台地は、車両の進入が完全に不可能であった。
サンゴの陥没穴や岩の突起に阻まれ、歩兵は這ったり登ったり、よじ降りたりしながら、ギザギザに荒れた地面の小さな区画を一つ一つ進むしかなかった。
負傷者の搬送では、担架と患者を激しく揺らしながら運ばざるを得なかった。その地域は、日本軍の小規模な部隊や個々の兵士によって分散的に防御されており、自ら攻撃を仕掛けてくることはなかった。
しかし、自分たちの「月面のように荒れ果てた土地」に侵入された場合には、激しく抵抗した。
アメリカ軍が西側道路に沿って移動していたとき、日本兵は個々の兵士は無視した。そして、自分たちにとって「格好の標的」に見える集団や個人だけを狙って射撃した。
高地確保という戦術
西側道路において取れる唯一の戦術的な選択肢は、その道路を見下ろしているサンゴ岩や崖を占領して確保し、侵入してくる敵から守ることであった。その高地を占領してしまえば、部隊やトラックは西側道路に沿って移動することができた。
その「崖」によって、日本兵は隠れる場所とある程度の防護を得ることができていた。崖の陣地が占領され、確保されるまでは、強力な火力によってそこにいる日本兵を一時的に沈黙させることしかできなかった。日本兵がこの道路を見下ろせる有利な場所から追い出されるまでは、西側道路は完全に安全とは言えなかった。
こうした地形の状態は、西側道路に沿って約1.2kmにわたって続いていた。
そこでは、サンゴでできた陥没穴だらけの台地が、ウムルブロゴル・ポケットの北端に沿う形で、列をなして続く石灰岩の尾根群へとつながっていた。
これらの尾根は北東へ緩やかに延び、海岸部の東西幅を約180~360メートルに拡大していた。
攻撃開始と初動
9月23日、西側道路を見下ろす台地に対して、艦砲と砲兵による1時間にわたる激しい準備射撃が行われた。
その後、第321連隊戦闘団がこの地形へと投入された。最初の陸軍による偵察パトロールは、概ね道路の西側を進んだ。
草木や細かな地形の起伏によって、道路のすぐ東側の「崖」に依然として残っている日本兵からは、ある程度姿を隠せていた。
こうした戦術は、第321連隊第2大隊のより大規模な部隊が西側道路をまたいで前進し始める前までは有効であった。しかし、大規模な部隊が道路を前進し始めたとたん、道路の上の高地から激しい射撃を浴びることになった。
部隊間連携の問題
第321連隊第2大隊は、道路を横切る東西方向の戦線からそのすぐ上の高地に至るまでの範囲で、第1海兵連隊第3大隊と交代し、その配置を引き継いだ。
その付近で、第1海兵連隊は第7海兵連隊第3大隊の前方左側の部隊と隣接していた。
第7海兵連隊第3大隊は、第321連隊第2大隊の部隊の後方に続き、兵士たちが崖の西側を占領しながら北へ進むのに合わせて、高地に沿って前進するよう命令されていた。
しかし、尾根上を進んでいた第321連隊第2大隊の先行部隊は、その西側の平坦地を進む同じ第2大隊の部隊に、すぐに遅れてしまった。
そのため、尾根を占領するため北へ進むべきところ、その崖の先行部隊は持ち場を捨て、横にそれて道路へ下っていった。彼らはその後道路に沿って前進したが、まもなく第7海兵連隊第3大隊と高地で連携が取れていないと報告した。
高地の奪取と代償
第7海兵連隊長であるハネケン大佐の命令により、第7海兵連隊第3大隊は、その後、第321連隊第2大隊が放棄した高地を奪取した。
しかし、その代償は大きく、部隊間の関係に悪影響を及ぼしかねなかった。その後、第7海兵連隊第3大隊は、第321連隊の担当区域内で、尾根に沿って順次投入された。当然、この配置は第7海兵連隊第3大隊の負担となった。
同大隊は右側との連携を保ちながら、ウムルブロゴル・ポケット南側に対処する必要があった。さらに北方では、第321連隊は前進を続ける中で、その進撃ルートの上にある高地の一部を奪回し、その後はこれを保持した。
ヒル100とヒルBの戦い
ウムルブロゴル・ポケット北端に並ぶ地点では、陥没地形が次第に平坦な尾根の地形へと移り変わっていた。
その中で、第321連隊は重要な拠点であるヒル100の一部を占領した。
その地点は、西側道路のすぐ東にある隣接する丘(ヒルB)とともに、ウムルブロゴル・ポケットの北端部を形成していた。
第321連隊戦闘団は、その後3日間、ヒルBの奪取とヒル100で確保した陣地の強化と維持に追われることになった。
タスクフォース・ニール
第321連隊はウムルブロゴル北端を横断する東側ルートを探しながら、同時に西側道路に沿って北方へパトロール部隊を進出させた。
「無線施設」と呼ばれる建物の近くで、パトロール部隊は重要と思われる道路の分岐点に到達した。それは実際には、東側道路と西側道路の交差点であった。
第321連隊戦闘団の指揮官ロバート・F・ダーク大佐は、そのルートを南へ回り込む形で活用し、新しい方向からヒル100とヒルBを攻撃することを決定した。
彼は装甲戦力と火炎放射器を主力とする機動部隊を編成し、これをジョージ・C・ニール大尉にちなんで「タスクフォース・ニール」と命名した。
彼はその部隊を南東および南へと迂回させ、第321連隊第2大隊が展開していたヒル100とヒルBの戦場に合流させた。
その戦闘の南側では、第7海兵連隊がポケットの南面および東面に対して圧力をかけ続けていた。ただし、攻撃の主な方向は依然として南から北であった。
第5海兵連隊の北部進出
こうした作戦が進む中、第5海兵連隊はペリリュー北部の戦闘に投入された。
第5海兵連隊は、東部半島とその近くの3つの小島における警戒任務を第1海兵連隊に引き継いだ。そして、西側道路を越えて移動し、第321連隊の作戦を横に避ける形で、ペリリュー北部の確保に向かった。
第5海兵連隊は11時に師団命令を受けた後、車両と徒歩で移動し、北東の小島付近では水中を進みながら、西側道路に沿って前進した。
13時までに、同連隊の第1大隊はガレコルにおいて第321連隊の戦線を通過し、前日の午後に第321連隊の偵察隊が発見した無線施設を攻撃するため前進していた。
北部地形と戦術的優位
この地域で、第5海兵連隊は平坦な地形を発見した。その一部は開けており、一部はヤシの木に覆われていた。
地形は、見慣れた石灰岩の尾根によって分断されていたが、戦術的に重要な違いとして、その尾根の大半が孤立して存在していた。
そのため、攻撃側は、ウムルブロゴルの時のように、隣接または並行する尾根に配置された相互に支援し合う防御陣地からの側面射撃に、常にさらされることはなかった。
日本軍は北部の尾根でも、ウムルブロゴルと同じく、網の目のようなトンネルと射撃陣地を備え、徹底した防御を固めていた。
ただし、これらの陣地は、戦車や火炎放射器、爆薬を使って、ひとつずつ確実に攻撃していくことができた。さらに明らかになったのは、北部の日本軍はすべて訓練された歩兵ではなく、その多くが海軍の建設部隊出身者であったということである。
ハリス大佐の戦術
一方米軍側では、重要な指揮上の要因が、ペリリュー北部への作戦の進め方に大きな影響を与えていた。
ハロルド・D・ハリス大佐(通称「バッキ―」)は、歩兵を突撃させる前に、利用可能なあらゆる火力を十分に活用することに決めていた。
彼は事前に行った航空偵察によって、地形を把握していた。この知識は、連隊に与えられた任務を遂行するにあたり、利用可能なあらゆる火力を引き続き活用し、綿密に計画された戦術を用いるという彼の決意をさらに強めた。
無線施設の占領と橋頭堡
9月25日の午後、第5海兵連隊第1大隊は無線施設を占領し、さらにそれを見下ろす丘の手前側の一部も確保した。
その後、第5海兵連隊第3大隊が到着すると、第1大隊の陣地の東側にある高地を次に奪取するよう命じられた。さらに、第5海兵連隊第2大隊が接近し、第5海兵連隊第3大隊の陣地の右側とつながった。
その結果、連隊の戦線は海岸まで延びた。この配置によって、南方での第321連隊の作戦との接触は事実上断たれたが、戦線を過度に伸ばしすぎることなく、可能な限り迅速に北進するというハリス大佐の計画は達成された。
この連隊規模の「橋頭堡」を突如として確立したことにより、第5海兵連隊は、洞窟陣地に挑む強力な兵力を用意し、翌日には全面的に攻撃できる態勢を整えることで、日本軍の不意を突いた。
ヒル・ロウとアミアンガルの戦い
翌9月26日、第321連隊は、ウムルブロゴル・ポケット北端のヒル100とヒルBに対して三方向から攻撃を開始した。
一方で、第5海兵連隊は、ペリリュー島の東西を横断する4つの丘、ヒル1、2、3およびレーダー・ヒル(まとめて通称ヒル・ロウ)に攻撃を加えた。
その4つの丘は、最北端の尾根であるアミアンガル山の南側に位置し、これと直角に交わる形で延びていた。
これらの丘と尾根には、約1,500名の歩兵、砲兵、海軍工兵、そして9月23日の夜に上陸した、損害の激しい増援の歩兵大隊によって、防御されていた。
彼らは、尾根および丘の内部にある洞窟や相互に連結されたトンネルに配置されていた。
ヒル・ロウをめぐる戦闘が進展するにつれて、ハリス大佐は第2大隊をヒル・ロウの西側へと移動させ、北のアミアンガル・リッジへの攻撃を開始させた。
日没前までに、第2大隊はその尾根の南端および頂上部を占領したが、尾根の中央部および北西斜面の洞窟陣地から激しい攻撃を受けた。
トンネル網との戦い
その時点ではまだわかっていなかったが、海兵隊はペリリュー島で最大規模の日本軍の洞窟とトンネル網に直面していた。
海兵隊が侵攻しようとしていたのは、長年にわたり駐屯してきた日本軍の海軍建設部隊の拠点(かつ防御陣地)であり、その隊員の大半は歩兵というよりもトンネル堀りの技術者だった。
日が暮れると、第2大隊は南側との連絡を断ち、小規模な橋頭堡を築いて一夜を明かした。
近接火力支援の投入
翌朝、第5海兵連隊第2大隊がアミアンガル・リッジ北端へ向かうルートを進もうとしたところ、幅が広く深い対戦車壕に行く手を阻まれた。そのため、これまで効果的に使ってきた戦車の近接支援を受けることができなくなった。
この時点で、第5海兵連隊司令部は、再び至近距離からの砲兵隊の支援を要請した。
今回は、師団司令部がこれを了承した。9月27日の夜、ジョージ・V・ハンナ少佐率いる第8砲兵大隊は、持っている155mm砲のうちの1門を、第5連隊第2大隊の担当区域内の陣地に移動させた。
その砲は、アミアンガル・リッジの正面約165メートルの地点に配置された。夜明けにこの動きを日本軍が察知し、すぐに機関銃による攻撃が行われ、砲兵の一部に若干の損害が生じた。
この日本軍の攻撃は、海兵隊の反撃ですぐに制圧され、さらに155mm砲の砲撃によって完全に抑えられた。
午前中を通じて、155mm砲の激しい砲撃がアミアンガル・リッジの正面一帯に浴びせられ、西側斜面で確認されていた洞窟は、ひとつを除いてすべて破壊または封鎖された。
その最後のひとつは地表と同じ高さのトンネル入口で、丘の北西側のふもとにあった。その入口は味方の戦線にあまりにも近すぎたため、砲による射撃を加えることができなかった。
しかしその頃には、戦車がすでにそのトンネル入口を制圧しており、さらに戦車ブルドーザーによって対戦車壕の一部も埋められていた。
これによって、第5海兵連隊第2大隊の戦車と歩兵の混成部隊はトンネルの入口に接近できるようになり、トンネルの入り口を爆破し、ブルドーザーで埋めて封鎖した。
そして部隊は、アミアンガルの北端を回り込んで前進した。これと同時に、海兵隊はトンネルの入口上方の斜面を一気に掃討し、小さな山の頂上を「占領」した。
「占領」の実態
もっとも、「占領」という表現は正確ではない。というのも、第5海兵連隊第2大隊は丘の外側こそ確保していたものの、内部はなおも頑強な日本軍守備隊が押さえていたからである。
アミアンガル・リッジの全域には、相互につながったトンネルが迷路のように張り巡らされていた。
時折、山中に潜む日本兵は、いったん封鎖された洞窟やトンネルの出入口を爆破して再び開き、外に出て海兵隊に戦いを挑んできた。
これらの反撃は奇襲効果こそあったものの、海兵隊にとっては、日中に敵の姿を実際に確認できる、めったにないありがたい機会でもあった。
このような戦術は、ペリリューにおける日本軍の基本的な戦略とは一致しておらず、その結果、島の北部での戦闘の終わりをある程度早めることになった。
ガブドス島・コンガウル島への上陸
こうした戦闘が進行する中で、第5海兵連隊は第3大隊をはじめ、支援戦車、水陸両用トラクター、さらに艦砲射撃や航空支援といったあらゆる戦力を集結させ、9月28日、ペリリューの北方約550メートルにあるガブドス島とコンガウル島を奪取するため、島から島へと渡る上陸作戦を開始した。
ガブドス島の戦闘
その後に続いた作戦は、「いかにも簡単そうに見えた」が、実際には、(増援は受けていたものの戦力は消耗していた)1つの大隊が単独で、約500名の陣地を構えた日本軍歩兵と戦うという厳しいものであった。
しかし、約35時間にわたる戦闘で、この大隊はペリリュー戦を通じて、単一の大隊による作戦としては最も効率の良い戦いを行った。
航空支援の効果
こうした高い戦果の多くは、航空支援によるところが大きかった。
ロバート・F・スタウト少佐(通称「カウボーイ」)が指揮する海兵隊第114戦闘機中隊は、この上陸の3日前にペリリュー島の飛行場へ進出し、すぐに海兵隊地上部隊の支援任務を開始した。
ガブドス島への上陸は、上陸作戦における航空支援のすべてが海兵隊航空部隊によって担われた、太平洋戦争で初めての事例であった。
ペリリュー島の海岸から上陸部隊の水陸両用車が海に入ったとき、海軍の砲撃が予定より早く中止されたため、部隊は不安に陥った。
スタウト少佐率いる航空部隊のパイロットたちはその状況をすぐに理解した。彼らは、水陸両用車が海岸から約30mの距離に近づくまでの間、ガブドス島への機銃掃射を再び行った。
飛行機があまりにも低く飛んだので、見ていた海兵隊は「跳ね返った弾で味方の飛行機が撃ち落とされるのではないか」と心配するくらいだった。
しかしこの攻撃によって日本軍守備隊は身動きが取れなくなり、その結果、先頭の上陸部隊の海兵隊員たちは、機銃掃射の衝撃から敵が立ち直る前に、彼らの目前に迫ることができた。
島の制圧
第5海兵連隊第3大隊は、損害を一切受けることなく上陸を果たした。
こうして海兵隊は、海岸を防御していた日本兵をすぐに倒すことができた。そして次に、丘にある洞窟陣地やトーチカへの攻撃に移った。
ガブドス島の尾根は、ペリリュー北部の尾根と同じで、複雑につながっているのではなく、一つ一つ独立して存在していた。この地形のため、日本軍は洞窟陣地どうしで相互支援できなかった。
その結果、同連隊第3大隊の攻撃部隊は、戦車の支援を使いながら、日本軍の防御陣地を1つずつ集中して攻撃することができた。しかも、側面や後ろから攻撃される心配はなかった。
9月28日の夕方までに、同連隊第3大隊はほとんどの日本軍を制圧していた。
9月29日は、残っている日本軍を掃討する一日となり、午後3時にガブドス島の確保が宣言された。
計画どおり、ガブドス島は第321連隊第2大隊に引き渡され、同連隊第3大隊は、ガルドロロク地区の師団予備部隊として後方に回された。
戦力集中の効果
消耗していた1個歩兵大隊だけでガブドス島を奪取したことは、戦争における不変の原則である「戦力の集中」をはっきりわかる形で示した。
ガブドス島を攻撃する大隊を支援するために、リュパータス将軍は使える火力のほとんどすべてを集中させた。
戦艦1隻、巡洋艦2隻、師団と軍団のほぼすべての砲兵、残っていた戦車のほぼ全部、装甲付きの水陸両用車、兵員輸送用の水陸両用車、さらにペリリューの海兵隊航空機のすべてを投入した。
北部戦線の収束
このように戦力を集中させた支援のおかげで、大きく消耗していた第5海兵連隊第3大隊は、ガブドス島をすばやく奪取できた。そして36時間で、堅固な防御陣地にいた中川大佐の経験豊富な日本兵463人を倒し、アメリカ側の損害は48人にとどまった。
その36時間のあいだ、ペリリューの他の地域でも攻撃は続けられていたが、リュパータス将軍がガドブス島に戦力をすべて集中させたため、支援が限られ攻撃は抑えられたものになった。
残存戦力との戦い
第5海兵連隊第3大隊がガブドス島を掃討している間、第5海兵連隊の残りの部隊は、ペリリュー北東部に残っていた日本軍と戦っていた。
アミアンガル山の先にあるアカラコロ岬を占領したあと、同連隊第2大隊は南へ向かった。
その部隊は、山の東側の防御陣地を爆薬や火炎放射器で一気に片づけ、そのあと南へ進んで、ヒル・ロウ東側の拠点であるレーダー・ヒルへ向かった。
第5海兵連隊第1大隊は、その地点を南と西の両方から攻撃していた。2日後には、その2つの大隊がその地域をほぼ支配していた。
少なくとも、丘の上の部分については完全に押さえていた。その内部には、まだしぶとく日本兵が残っていて、レーダー・ヒルをめぐる戦いで抵抗を続けていた。
アミアンガル山の広いトンネルの中にいる日本兵も、同じように抵抗していた。これに対しては、洞窟やトンネルの入口を爆破してふさぐことで、中にいる日本兵をすべて沈黙させることができた。
作戦の区切り
これらの作戦が進んでいるあいだ、ウムルブロゴル北端にいた第321連隊は、ヒル100とヒルBを占領し、さらにその尾根(カミリアンルル山)と、そこから北へ伸びる道路を掃討して、第5海兵連隊の作戦地域まで進出した。
9月30日、第321連隊は、ペリリュー北部にいた第5海兵連隊の第1・第2大隊と交代した。
第5海兵連隊はガルドロロク地区で再編成されたが、やがて再びウムルブロゴル・ポケットの戦いに投入されることになった。

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